IBAのAsirope(Asia + Europe)放浪を記録するブログです。


by Hibaiba

次の旅

 次回の旅の出発を2007年2月2日に決めました! 旅の記録は新しいブログに書いていきます。

http://Asirope2.exblog.jp/

 次回の旅では文章・写真ともレベルアップさせたいと思っています。これからも皆様にAsirope放浪記をご覧頂ければ幸いです。
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# by Hibaiba | 2007-01-14 20:50 | 日本

おまけ

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# by Hibaiba | 2006-12-07 18:17 | 日本

日本にて

 日曜日に日本に帰ってきた。土曜日の夜発の夜行便だったけれど,さすがに色々と旅のことを思い出してしまい,機中では全く眠れなかった。

 帰国した日曜日も,何だかずっと興奮していた。下町情緒に興奮したマカオ,海と空がこの上なく美しいサムイ島,仕事のことを思い出さずにはいられなかったマレーシア,余りの価値観の違いに驚いたインド,多くの人と出会ったキルギス,高山病で死にかけたネパール,アンコール遺跡に圧倒されたカンボジア,人と自然が美しく調和したラオス... それぞれの国の風景やそこで出会った人たちの顔が,絶え間なく頭の中に浮かんできたのだった。

 日本に帰ってきて,日本に対して今まで感じたことのないような強烈な違和感を感じた。電車に乗ってもみんな同じ表情,というか,みんな無表情に見える。本当にここが自分の生まれ育った日本だろうか,と思うほどだった。それだけ,この5ヵ月間は訪問先の国々をしっかり見てきたという証でもあるだろう。いずれにせよ,充実した旅だった。

 僕のAsirope放浪の旅は,これでひとまず前半戦を終了することになる。後半戦は来年2月に始める予定だ。行き先は当初はヨーロッパにする予定だったが,今はインドと中国を回ろうかと思っている。ヨーロッパは多分旅が簡単すぎるような気がするので,刺激の大きい,そして多少困難も多そうなこの2カ国に変えた。ユーロが高いのでお金が苦しい,という理由は大きな声では言わないことにする。

 この5ヶ月間,毎日誰かがこのブログを見て下さっていた。それが旅先の僕をどれほど勇気づけてくれたか知れない。読者の皆様には心より感謝致します。本当にありがとうございました。このブログはここで終了します。次回の旅は新しく下記のブログに記録していくことにします。
 http://Asirope2.exblog.jp/

 それでは皆様,次の旅もお楽しみに!
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# by Hibaiba | 2006-12-05 12:37 | 日本

日本へ

 12月に入り,7月から始めたこの旅も5ヵ月経ったことになる。この5ヶ月間で,香港・マカオ,タイ,マレーシア,インド,キルギス,ネパール,カンボジア,ラオスの8カ国を回った。

 キルギスのように予定より随分長く滞在した国もあれば,インドのように全くの中途半端に終わった国もある。ラオスやカンボジアのように当初は予定に入っていなかった国にも行った。
 長い時間をかけて多くの国を回ったような気もするし,あっという間だったような気もする。それぞれの国についても,その国の風景をはっきりと憶えている一方で,本当にその国に行ったのかどうか,今ひとつ現実感がないような印象もある。
 今回の旅に満足している部分もあれば納得していない部分もある。ただ,自分の視野は確実に拡がったと思うし,多くの出会いもあった。旅をしてよかったと思うことは数知れない。

 そんな旅も,多少予定より早くはなったが,今日で一旦打ち切ることになる。今夜の便で,日本に帰ることにした。

 今日はもう荷造りしかすることがない。バックパックにわずかでもお土産を入れるスペースを確保するため,長く着回して襟の擦り切れかけたTシャツを何枚か捨てていくことにした。Tシャツはもちろん日本から何枚か持って行ったけれど,全て随分前に新しいシャツに買い換えた。今回捨てるシャツは,だからどれも日本以外の国で買ったものだ。いま履いているサンダルはネパールで買ったものだけれど,これも捨てていくことになるだろう。
 一つ一つのモノを見ていると,それを買った国をつい思い出してしまい,思い入れは尽きないのだけれど。

 日本に到着するのは明日の早朝だ。日本に帰ってしまうと,今以上に旅の現実感が無くなってしまいそうな気がしないでもない。
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# by Hibaiba | 2006-12-02 14:10 | タイ

バンコク観光

 チェンマイに一泊した後,夜行列車でバンコクに戻ってきた。夜10時チェンマイ発の列車の切符を買っていたけれど,9時過ぎに駅に行くと事故があったとかで僕が乗る予定だった列車はキャンセルされていた。もともと午後4時半発の列車が遅れて10時半発になるので,それに替えることができるよ,と言われてそのまま切符を変更してもらった。
 しかし実際にはこの列車も12時過ぎの発車となり,バンコクには「朝の9時半ごろ」と言われていた予定到着時刻を大幅に過ぎて,なんと夕方の5時半に到着した。

 今回の旅でバンコクに来るのは6回目。その6回目でようやくバンコク観光に行った。行った先はタイ仏教の総本山であるワット・プラケオという寺院。ここは初めてタイに来たときにも観に行ったけれど,今回東南アジアを広く回ってから行ってみるとまた新たな発見もあった。

 このお寺,まず何といっても寺院全体の規模がとんでもなく大きい。一つ一つの建物や像が大きい上に,その数も多いのだ。以前来たときも大きいとは思ったけれど,タイの他の街やラオスのいくつもの寺院を見た上でここに来るとその余りの大きさに驚く。そしてそれら全てがタイらしく色彩豊かなのだけれど,ここの建築は色の数も多く,特に鮮やかに見える。
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 寺院のあちこちに,仏塔や壁を支えるような格好の像がある。これがなかなかコミカルで面白い。
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 本堂の周囲も無数の像に支えられている。
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 そして前回触れたヒンドゥーの蛇神ナーガの像が,ここワット・プラケオにもあった。お堂の階段の手すりになっている。ちょっとうれしくなってしまった。
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 ここワット・プラケオはバンコク随一の観光地なので観光客の数は相当なものだ。とはいえここはお寺。地元のタイ人にとっては信仰の場だ。お参りに来るタイ人と観光客で本堂の周りはごった返している。
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 本堂の周囲には回廊が廻らされていて,一面に壁画が描かれている。恐らくタイの仏教説話を描いたものだろう。その活き活きとした躍動感のある描写が,僕は大好きだ。
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 一つのお寺を訪れながらもカンボジアやラオス,果てはインドなど,自分が見てきた様々な文化がその背後に見え隠れする。今回のアジアの旅の集大成,といった感じのワット・プラケオ訪問だった。
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# by Hibaiba | 2006-11-30 18:06 | タイ

文化の地層

 ラオスからタイに戻り,タイ北部の有名な都市であるチェンライとチェンマイという街に滞在した。ちなみにインドにはチェンナイ(旧称マドラス)という名前の街があり,人と話していてときどき混乱する。

 ラオスのルアンパバーンを離れた後,まず向かったのはチェンライだった。ここは小さな街ではあるが,タイ最北部の山岳地帯に近く,トレッキングツアーや少数民族見学ツアーに行く白人旅行者で賑わっている。大きな街ではないので(ラオスほどではないが)のんびりした空気も漂っていて,何となく長居してしまった。
 この街に,街の大きさには似合わない大きな市場がある,というのは既に書いた。その市場の周辺には美しい寺院も点在しており,市場付近をほっつき歩くついでに立ち寄ってみた。
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 タイの寺院は内部もきらびやかだ。
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 市場の近くにあった仏像は,今まで僕が見た中で最も大らかなものだった。
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 結局何をするでもなくチェンライに5日ほど滞在した後,重い腰を上げてチェンマイに向かった。ここは話しをするタイ人みんなが口をそろえて「いいところだ」という,とても人気のある文化の街だ。チェンライからバスで走ること3時間,そのチェンマイに着いた。

 第一印象は,とにかく人が多い。人気のある街なので旅行者もいっぱいいる。バンコクから来ると落ち着いた雰囲気の街なのかも知れないけれど,チェンライから来てみると随分賑わっているなあ,という感じ。気温もチェンライが涼しかったのに比べてかなり暑い。

 その暑いチェンマイの街を歩き回ってみた。この街はタイの中でも特に寺院が多いようだ。あちこちに派手な寺院が見える。そこを訪れている観光客も多い。
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 寺院内の壁画は大半が剥げかかっていたが,残った部分はなかなかきれいで面白い。
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 この街自体は堀に囲まれた旧市街と,その外側に広がる新市街に分かれている。堀の部分は噴水も作られていて,ちょっとした公園のような雰囲気だ。
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 チェンライとチェンマイ,どちらの街でもナイトバザールが開かれていた。観光客向けの土産物屋がたくさん並び,多くの観光客でごった返していた。チェンマイの新市街で開かれているそのナイトバザールに行ったとき,「おっ」と思うことがあった。スカーフをかぶったムスリムの女性がいたことだ。
 このムスリムの人達は観光客ではなく,現地に住む人たちのようだった。単にチェンマイにイスラム教徒がいる,というだけでは特に驚くことではないのだけれど,実はチェンライでもムスリムがいるのを見ていた。チェンライの市場近くにはモスクがあり,そのモスクの周辺はイスラム食を出す食堂があった。

 チェンライでは,ここにもムスリムがいるのか,というだけの感想だった。それが,チェンマイでもムスリムを見たことで,このタイ北部地域に少数派ながらイスラム教が根付いているということを知ったのだった。
 タイの最南部,マレーシアとの国境付近にイスラム教徒が多いのはよく知られている。実際にタイ南部にあるハジャイという街に行ったとき,スカーフをかぶった女性を多く見た。
 マレーシアはイスラム教国なので国境付近にイスラム教徒が多いのは理解できる。ただ,ミャンマーとの国境に近いタイ北部にもイスラム教徒がいることは知らなかった。
 ただ,考えてみればチェンマイから西隣のミャンマーを越えて更に西に行けば,すぐにそこはイスラム教国であるバングラデシュだ。イスラム教が更に東へ伝播してこの地域に到達していても全く不思議はない。少し調べてみたが,ミャンマーにも少数派ながらやはりムスリムがいるということだった。

 マレーシアやインドネシアのイスラム教が,このタイ北部から南へ伝わっていったものなのか,それともこれとは別に船で海を越えて伝わっていったのか,それは知らない。ただ,仏教国といわれるタイの中で,はるか西の国からイスラムがゆっくりと伝播して文化として根付く,その歴史の流れが垣間見えたのが僕の興味を惹いた。

 インターネットを通して世界中の情報が瞬時に地球を駆け巡る現代ではあるけれど,昔の世界だってなかなかどうして,相当な距離を文化が伝播していったのだ。もちろんそれらの文化は数百年単位の時間をかけてゆっくりと伝わっていったはずだ。しかしその伝わり方は,人々の生活に根差しながらのものであった分,今よりもはるかに重みを持った着実なものだったに違いない。

 実はカンボジアのアンコール遺跡でも同じような感想を持っていた。アンコール遺跡は仏教だけの遺跡ではない。ヒンドゥー教の神々やインドの古代神話も随所に現れる。インドの古代文化が,遥か東方のインドシナ半島東端まで伝わり,生きていたということなのだ。今でこそカンボジアは仏教国だけれど,かつてこうしてヒンドゥー教が盛んだった時期もあったことが,アンコール遺跡に明瞭に刻み込まれている。
 そしてそのヒンドゥーの伝播経路上に位置するタイにも,実はヒンドゥーの文化が残っている。蛇神ナーガの像など,ヒンドゥーの遺産がところどころに見られるのだ。実際,僕がいま泊まっているホテルの入り口にも,ナーガの像が置かれている。

 更に言えば,タイの寺院を見ていても僕は歴史の流れを感じる。タイの仏教が中国や日本に伝わった仏教とは別の歴史を持っているということが,タイに来るとよく分かるのだ。
 中国や朝鮮半島,日本に伝わった仏教は,インドから中国の西域を通って伝わったものだ。その伝播ルートはヒマラヤ山脈の北側を通る。一方,タイやカンボジア,ラオスに伝わった仏教はヒマラヤの南を通り,インドから直接東へと伝わっている。
 その流派も北側が大乗仏教,南側が上座部仏教と異なるが,それ以前にそれぞれが異なる経歴を持つというのは寺院一つ見ればすぐに納得が行く。いかにも南国的で派手な色彩のタイの寺院は,日本の寺院とはかけ離れたものだ。

 過去に堆積した地層がところどころ地表に現れるように,こうやってそれぞれの文化の歴史が現在の生活の中に見えてくると,旅が単なる地理的な移動から,歴史という時間の移動も含む立体的なものになってくる。

 インドと比べて刺激が無く面白くないと一時は思った東南アジアではあるけれど,カンボジア・ラオス・タイ北部と広く移動してみて文化の多様性や歴史のひだに触れ,あらためてその奥深さに気付いた。表層的な見方だけで簡単に一つの文化を判断してはいけないと改めて反省させられた。
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# by Hibaiba | 2006-11-29 13:45 | タイ

ラオスの個性

 ラオスに行く前に,実際にラオスに行ったという人にどんな国だったか聞いてみると,たいてい「タイの田舎」という答えが返ってきた。じゃあラオスの個性はないのか,と疑問だったので,今回ラオスに行く前にわざわざタイの地方都市(田舎町ではなかったが)を泊まり歩いて自分の目で確認してみた。更に今回ラオスからタイに戻ってきて,当たり前のことながらラオスにもラオスの個性があり,タイとは異なる,という結論に達した。

 あくまでも数箇所に1週間ほど滞在しただけの僕の視点ではあるけれど,ラオスの個性は人々の奥床しさにあるのではないかと思う。毎日通って顔なじみになった食堂や屋台に行っても,どこかはにかんだような笑顔で迎えてくれる。これがタイだと「やあ,元気かい!」と屈託がなく調子がいい。
 ラオスを訪れた旅行者は誰もが,ラオスは静かで落ち着いていると言う。その落ち着きというのは,人々のそういう奥床しさから来ていると思う。

 じゃあラオス人のその穏やかさはどこからきているのだろうか,と考えた。それは,ラオスの国土の多くを占める山ではないだろうか。毎日きれいな山を見ているラオス人の心もきれいだ,という単純な話ではない。山が多いので人が住める場所,田畑を作れる場所は限られている。しかもその山は生命力の旺盛な熱帯のジャングルで覆われている。豊かとは言え,いささか過酷な環境の中で,強い力を持つ自然と折り合いをつけながらの生活が,ラオス人の謙虚さを育てたのではないだろうか。

 ラオスには日本人が懐かしさを感じるような風景が多い。それは突き詰めると,日本とラオスには山がちな国土と豊かな自然という共通点があるからではないか。国中が都市化されることによって多くの日本人が失ってしまった謙虚さが,まだ都市化の進んでいないラオスで生きている,という気がする。

 日本人ははっきりとモノを言わないから何を考えているかわからない,と言われているが,ラオスに行ってみるとそれがどういうことが分かった。奥床しいラオス人もあまりモノを言わない。先に書いたとおり,顔なじみの店に行ってもはにかんだ笑顔で迎えてくれるのだ。このことが一方では,どこか他人との間に壁を作っているような印象ももたらす。

 ラオスからタイに戻ってくると,もう山はない。平地では熱帯の強力な自然は,耕作すれば豊かな稔りを人々にもたらす。僕が今いるチェンライという街は歩いて回れるほどの小さな街だけれど,市場は驚くほど大きい。ここと比べるとラオスの市場は大変小さく見えるが,これはラオスが貧しいのではなくてタイがとんでもなく豊かだということだろう。

 これだけ豊かに食べ物に恵まれていれば,タイ人が陽気で開けっぴろげで,多少ネガティブな表現を使えば刹那的でいい加減な性格になるのも理解できる。先のことをチマチマと考える必要はない。

 タイとラオスのどちらが良くてどちらが悪いというのではない。今回タイとラオスを続けて見てみることで,それぞれを取り巻く自然環境が人々の気質に大きく影響している,というのが分かった気がした。
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# by Hibaiba | 2006-11-23 19:51 | ラオス

小舟にて

 ビエンチャンからバンビエン,ルアンパバーンまではほぼ北へ向かうルートだった。ルアンパバーンからは今度は西へ向かうことにした。目的地はタイとの国境が開かれているフエイサイという街だ。ここへ行く手段はいくつかあったが,僕は最も早いスピードボートというのを選んだ。メコン河を遡ってフエイサイまで6時間という。ちなみにスローボートというのもあり,こちらは2日がかりなのだそうだ。

 このスピードボート,なかなかの曲者だった。移動日の朝,ルアンパバーンの街からかなり離れた船着場へ行く。集まってくる客はほとんど現地の人ばかり。外国人の旅行者は僕以外には白人バックパッカーが一人だけだった。
 やがて時間が来ると,ボートに乗り込めと言われる。このボートを見て少なからず驚いた。やたら小さいのだ。確かにこれは正真正銘のボートだ。スピートボートという名に偽りはない。これをボートと称するのに何の異存もないけれど,そのボートに6時間乗る身にとっては,欲を言えばもう少し良い方に期待を裏切ってほしかった。
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 このボート,小さい上に座席が非常に狭い。体の小さなラオス人やタイ人はいいが,図体のでかい僕や白人には余りにも狭いシートだった。さらにその上,二人掛けのシートに僕と白人が一緒に座ることになった。確かに,体の大きな外国人と同じシートに座りたくないという現地人の気持ちも痛いほどよくわかる。でも,当の外国人である僕たちには非常に辛かった。
 このボートに乗り込むと,今度はヘルメットと救命胴衣が乗客に配られた。え,そんなにやばいのか? と不安が募るが,いまさら仕方がない。まだこうやって救命胴衣が配られるだけ良心的なのだ,と無理やり自分を納得させて胴衣を身に付けた。

 乗客が全員席に着くとボートは出発した。これが,速い。本当に速かった。これまた「スピードボート」という名に恥じないスピードだった。こっちは僕の予想をはるかに超える速さだった。ただ同じ期待を裏切るなら,どちらかといえば「スピード」よりも「ボート」の方で裏切ってほしかったというのが正直なところだ。
 小さなボートなので河の水がときどきはねて客席にしぶきがかかる。猛スピードで走るので最前列に座っていた僕には風がビュービュー吹きつけ,空が雲に覆われた朝方はとにかく寒かった。2時間ほど走って休憩地点に着く頃には,足・腰・お尻が痛い上に体が冷え切ってトイレに行きたくて仕方がなかった。
 昼前になって空が晴れてくると,今度は熱帯の強烈な直射日光が射してきた。ボートが走っているうちは暑さも寒さも感じずちょうどいいのだけれど,休憩地点に停まったりするとその日差しの強さを実感する。日焼け止めクリームを買っておけばよかったと後悔するがどうしようもない。隣の白人の手足はみるみるうちに真っ赤になっていった。

 こんなボートの旅ではあったけれど,河の両岸の景色は絶景だった。初めのうちこそ岸辺に民家が点在しているのが見えたけれど,そのうち完全に無人のジャングルが広がり始めた。いつ恐竜が出てきてもおかしくないような,まさに鬱蒼としたジャングルが延々と続く。蛇行する川の流れを猛スピードで遡るにつれ,景色はどんどん移り変わる。こんなにきれいな景色があるんだったら,スローボートでゆっくりと行くべきだった!
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 とはいえ,座席は狭い。腰が痛くて仕方がない。狭い中で少しずつ姿勢を変え,なんとか腰をなだめすかす。ところがこんなときに限って,河の上で突然ボートのエンジンが止まった。エンジントラブルか,と思ってさすがに焦った。こんな場所で船が動かなくなって野宿ということにでもなったらどうするか。防寒具はバックパックにあるから夜寝るのはいいとしても,今日はあいにく非常食を持っていないのでお腹は減るぞ。そんなことを考えていたが,どうやら単なるガス欠らしい。

 船はしばらく河に流され,少し下流に戻ったところで岸辺に乗り上げた。近くに何隻か小さなボートが停まっていて,我がスピードボートの船頭の兄ちゃんはそのボートからガソリンを少し抜き,スピードボートのガソリンタンクに移した。
 そうやって再び走り始めたボートは,ほんの5分ほどで次の休憩ポイントに到着。船頭の兄ちゃんはここでガソリンを補給。もうあと僅か,というところでガソリンが足りず,ここに辿り着けなかったらしい。
 ちなみに兄ちゃんはここで余分にガソリンを買い,先ほどガソリンを失敬したボートにちゃんと返しに行っていた。

 そんなこんなで,予定時間になってもボートは全然フエイサイに到着しない。相変わらず両岸は無人のジャングルが続く。いったいいつ到着するのだろう,と痛む腰とお尻をなだめながら周りの景色を眺めていると,それまでなかった電線が引かれているのがふと目に入った。電線があるということは大きな街が近いということだ。この辺りで大きな街といえばフエイサイしかないはずだ。もうすぐフエイサイに着くのか,と懇願にも近い期待感が頭をよぎる。

 このあたりで河は大きく蛇行する。カーブで船がぐるっと舳先の方向を変えると,岸辺に民家がたくさんみえてきた。それまで無人だった対岸のタイ側にも民家が見えてきた。河はさらにもう一度折れ曲がる。そこを曲がりきると,大きく立派な町並みが見えてきた。お寺の屋根も見える。今度こそ間違いないだろう!
 そうしてお尻が限界に達して悲鳴を上げているのに耐えること5分,ようやくボートはフエイサイの船着場に到着した。約7時間半の船旅だった。

 ここフエイサイでラオスのイミグレーションを通り,河を渡るとタイのイミグレーションがある。この渡河には渡し舟を使う。渡し舟に乗りながら,遠ざかるラオスの風景を眺めていた。予定を大きく超える長い船旅にはなったけれど,そのおかげでラオスで最も美しい,夕暮れの街の風景を見ることができた。本当に,きれいな国だった。
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 タイのイミグレーションを通過し,タイ側のチェンコーンという街に入る。さすがに最近何度もタイの出入国を繰り返しているので,入国がスムーズにいかなくなってきた。いくつか質問に答えて,ようやく入国。
 このあとタイ北部のチェンライという街へ,この日最終のバスでさらに3時間の移動。夜8時ごろに,ヘトヘトになってチェンライに到着した。
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# by Hibaiba | 2006-11-22 11:46 | ラオス
 毎日ルアンパバーンの街を歩き回っている。街歩きは早朝から始まる。この街の名物ともなっているのが,托鉢のために朝の街を歩く多くの僧侶たちの姿だ。タイでもラオスのほかの町でも托鉢の光景はよく見かけるが,ここルアンパバーンではその数が非常に多い。
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 托鉢の僧たちの後を追うでもなく街を歩き続けると,いくつもの寺院に出会う。地図も持たずに適当に歩いているので,何という名前の寺なのかわからない。
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 ここの寺院の壁という壁はびっしりと壁画やレリーフで埋め尽くされている。
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 ラオスはいま乾季ではあるけれど,内陸の山間部にあるルアンパバーンでは毎朝,空が雲で覆われる。お昼前になるとその空が晴れ上がり,一気に気温も上がる。鮮やかな色彩の南国の寺院には,やはりこの晴れ渡った空こそがふさわしい。
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 ただしそれを見ている僕のほうは余りの暑さにヘトヘト。

 夕方は,ラオスが最も美しく輝く時間帯だ。濃い緑に覆われた街が,夕日を浴びると金色に輝く。バンビエンの村の夕方も美しかったが,ここルアンパバーンもやはり美しい。
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 今回ラオスに来て,どの街でもこの緑と金色の印象が強く残っている。「ラオスって何色だった?」と聞かれれば,僕は間違いなく緑と金色,と答える。そういえば,昼間見た寺院も金色と緑色で美しく装飾されていた。偶然だろうか?

 金色に輝く夕刻の街では,ナイトマーケットの準備が始まる。
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 このナイトマーケットは,ルアンパバーンのメインストリートで毎晩開かれる。数百メートルに渡ってぎっしりと露店が並び,日が沈むとランプが灯される。どこまでも続くように見える光の列はとても幻想的だ。周辺には屋台も立ち並び,多くの観光客が訪れる。
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 これが,僕が見たこの街の一日だ。
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# by Hibaiba | 2006-11-20 14:04 | ラオス

ラオスの食

 昨日,バンビエンの村からバスで北へ6時間,ルアンパバーンという街に移動した。途中の道は山肌に沿って通っていて,全線舗装はされているもののひっきりなしに右左折を繰り返す。さすがに気分が悪くなりかけた。これだけきついバス移動は初めてだった。

 メコン河の畔に位置するルアンパバーンの街は30年ほど前まではラオスの都だった。さほど大きな街ではないが数多くの仏教寺院が市内に散在し,僧侶の数も非常に多いらしい。ここは街自体が世界遺産に登録されている。街の中心にある丘に登って見ると緑の多い美しい街だ。
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 昨日は夕方遅くに疲れ果てて到着したのでほとんど街を見て回ることはなかったので,今朝になって朝食がてら街へ散歩に出た。適当なところで麺の店を見つけたので入って汁ソバを食べた。このときふと,そういえば東南アジアではどこの国に行っても朝ごはんに汁ソバばかり食べているなあ,と可笑しくなった。
 東南アジアの麺類は種類が豊富だ。小麦の麺は日本の中華そばとよく似ているが,コシははるかに強くて麺自体が日本のものよりずっとおいしい。そして,種類が多いのが米の麺。素麺のように細いものから中細麺,きしめんのような平たい麺まで色々ある。屋台では好きな麺を指差せば,適当に具を見繕って調理してくれる。スープはあっさりしていてアジア人好み,というところだろうか。朝ごはんにはちょうどいいのだ。

 今日も汁そばを食べて朝からご機嫌になった僕は,近くの朝市のようなところに行ってみた。ほとんどの店が食材を売っている。
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 ここで売られている食材に,少々驚いた。名前も分からないような菜っ葉や巨大なキノコ。鶏肉や豚肉は骨付きでぶつ切りにして売られている。獲れたてでまだ生きている川魚に各種の魚の干物。そして蛙にコウモリに名前の分からない小動物。蛙は生きているのも焼いたものもあった。食べたいと思うかどうかは別として,ラオスの市場はラオスの食の豊かさをよく表していた。
 ちなみにビエンチャンでローカル食堂に行ったときは,なにかの幼虫を野菜と煮たものを置いてあったのを見た。

 他に,ラオスの道端にはフランスパンを置いている店がたくさんある。鶏肉やツナ,チーズなど好きな具を選べばサンドイッチにしてくれる。ラオスがフランスの植民地だった頃の名残だ。昼ごはんにちょうどいい。
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 同じくフランスの植民地だったカンボジアにもあちこちにフランスパンのサンドイッチ屋台があり,安いので僕は時々食べていた。

 話がそれるけど,インドやマレーシアは昔イギリスの植民地だった。植民地支配の是非については今は触れないけれど,イギリスがこれらの国に遺した大きな遺産としては発達した鉄道網がある。イギリスが自国へ流れる利益を増大させるために建設したものとは言え,鉄道がこれらの国の産業の発展に貢献しているのは事実だろう。
 一方で,フランスの植民地だったラオスに鉄道はない。カンボジアやベトナムには鉄道があるが,まともに機能しているのはベトナムだけだ。
 
 フランスパンと鉄道,それぞれ遺されたものがフランスとイギリスのお国柄の違いを表しているような気がする。
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# by Hibaiba | 2006-11-19 16:43 | ラオス